慶長3年(1598年)の3月、秀吉は「醍醐の花見」を催します。
醍醐の花見とは、京都の醍醐寺で秀吉が行った花見で、「北野大茶湯」と並んで秀吉が行った最も規模が大きかったとされる催しの一つです。
これが元で醍醐寺は桜の名所と呼ばれるようになり、桜を見ながらお酒を飲んで騒ぐ、という今の花見スタイルの起源となったと言われています。
元々醍醐寺には桜がほとんどなく、この花見のために秀吉が諸国から桜を集めさせたと言われています。
今回のドラマでは、おそらく桜の手配に奔走する三成や信繁の姿が描かれるのではないでしょうか。
この花見の5か月後に秀吉はこの世を去り、その最期にふさわしい花見だったと言えます。